白氏の雑学日記

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2008年 10月 12日

モンスターペアレントにモンスターペイシェントやモンスターハズバンド

 ずいぶん以前に、モンスターペアレントを取り上げたことがある。今年7月から9月にかけて、フジテレビでもろに「モンスターペアレント」のタイトルでテレビドラマを放映していたので、もう誰も知らない人がいない、流行語を通り越して全国区の常用語となってしまった感がある。テーマも大いに関心があったが、なんと言っても主演が米倉涼子だったから、遣り繰りして何とか半分くらいは見ることができた。

2008年10月7日 (もり・ひろし=新語ウォッチャー)からまとめてみる。
 モンスターペアレントの概念が登場して約2年。最近のマスコミではモンスターペイシェントやモンスターハズバンドなど、様々な派生語も登場している。この一連の現象を考察すると、現代の日本社会に共通して見られる「ある構造変化」を見て取ることができる。権威と個人の間に横たわる力関係の変容だ。
 モンスターペアレントの問題の背景については様々な分析がある。一部保護者に過剰な権利意識が広がっていること。本来なら苦情の緩衝材となるべき地域社会が崩壊していること。学校の相談体制が不足していること、など。総じて保護者・学校・地域の連携がうまくいっていない点から生じていると言える。
 次に最も認知度が高い語が、「モンスターペイシェント」。これは医師や看護師などに対して、自己中心的で理不尽な苦情や要求を突きつける患者や家族を指す。このような人は「治療がうまくいかないと暴力を振るう」「医療費が高いと言いがかりをつけ支払いを拒否する」などの行動を取る。
 この問題の背景にもモンスターペアレントと似た構図が存在する。医療機関と患者の間に適切な関係が構築できていないのだ。例えば医療機関には診療拒否権がないため、一部患者の間に過剰な権利意識が広がった。またマスコミなどで伝わる医療過誤の問題が、患者の間に医療不信を招いた。逆に医療を過度に信頼していた人が、不十分な結果に落胆してモンスター化する場合もある。
 医療関連では「モンスターハズバンド」もある。産科医療の現場で、妻への診察行為に関して自己中心的な苦情を突きつける夫をいう。同記事では「妻への診察にセクハラだと抗議する」「体温測定でエラーが出ただけで怒鳴る」などの事例を紹介している。
 ほかにもマスコミでは様々なモンスターが登場する。例えば、学校の問題児であるモンスターチルドレン、システム開発企業の問題顧客であるモンスターカスタマー、近隣住民の立場で学校に理不尽な要求を行うモンスターネイバーなど枚挙に暇がない。

 う~~む、身勝手な人が多くなっているのだな、自己の義務や責任からは逃げ回りそのくせ権利だけは主張する。総じて、権利意識の過剰が問題だと思う。本来は、それぞれの立場でできることをする、相身互い、権利もあれば義務もある、できることもあればできないこともある、そして一番大切なことは、皆で協力しなければ達成できない難しい問題が世の中には多いのだとの認識が、周りの人々(教師や教育委員会やPTA)にそして一番要となるべき親に欠けていることだ。ところで一番の問題は、子供を育てるのは、一義的(この言葉は、役人が自分の責任を人に押し付けるときに乱用されるので好きでないのだが)に親の義務だという、この当たり前の認識の欠如だ。総じて自分の義務や責任に対する自覚が足りないのが気になる。

 このようなモンスター語の増加現象を考えるとき、クレーマーという先行概念を無視することはできない。クレーマー(要求者)という言葉の意味が大きく変わったのは、1999年に起こった「東芝クレーマー事件」がきっかけだった。あるユーザーが同社の電話窓口における恫喝的な応対を、音声データとしてネット上に公開。ネット世論を中心とした不買運動が起こった。当事者(企業・ユーザー)の行動に対する評価は現在でも意見が分かれる。だが少なくともこの時期から、クレーマーの意味は「企業に対して執拗に苦情を言う人」に変わった。

 そうなのだ、クレーマーと言う言葉があり、これは一般消費者のことだが、それが学校にかかわる親の立場になると、モンスターペアレントになるのだな、学校クレーマーと言っても通用するな、などと思っていた。そうするとモンスターペイシェントやモンスターハズバンドは医療クレーマーか。

 ここで注目すべきポイントは、この時期から企業と個人の力関係が変わったということだろう。ネット環境の普及に伴い、個人による情報発信の場が増えたからだ。このことは功罪両面の影響をもたらした。個人が企業の不正を告発できる力を得た一方で、理不尽な苦情や要求を押し通す力も得てしまったのだ。
 力関係の変容には理由がある。従来は圧倒的優位だった社会的立場(例えば教師・医師・企業)に対して、個人が反対意見を表明できる場所が必要だったからだ。だが残念なことに、逆転の末に得た力について、正しい使い方を分かっていない個人もいる。この優位性を指して「弱者のふりをした強者」と表現する識者もいる。モンスター達の不条理な行動は糾弾されてしかるべき。

 「弱者のふりをした強者」が、今の日本の問題を象徴する言葉だ。日本人は言霊の国の住民だから、言葉狩りに非常に弱い。エコロジーだ環境だ安心だと言えば、なんでも通ると思っているエコモンスター(これが進むとエコテロと言う明らかな暴力行為にまで至る)や安心モンスターも多い。差別用語モンスターも多い、差別用語として今まで普通に使われた言葉が使われなくなる、そして訳の分からない造語を作り、そしてそれもそのうち差別用語として使われなくなる。用語自体に良いも悪いもあるわけはなく、それを使う人の品性の問題なのに、すぐに言葉狩りが始まる。バリアフリーが必要と言われると多くの人に不便だと分かっていても、皆だれも反対の声をあげることができない。そういう風潮を利用した「弱者のふりをした強者」がなんと多いことか。
 話が脱線するが、本当に必要なのは、バリアフリーではなく、ユニバーサルデザイン(老若男女、健常者もそうでない人もけがした人も病気の人も力のない人も小柄の人でも誰でも利用可能なもの作りを志向)なのだが…例えば、駅の階段についている車いすを昇降させるあのいかにも高額の装置、あれなど動くのを見るのは1年に1回もないのでは。あれはしかも非常に場所を取るために、ラッシュ時など、5分で出られた駅から10分はかかるようになり、利用客全員に毎日迷惑をかけている。これなど即座に止めて、エレベータにすべきであろう。エレベータならだれでも利用できるユニバーサルデザインだから。
 ただ、今見る限るエレベータを利用しているのは、いかにも元気そうな若い人が多いのは、これはまた別の意味で非常に気になる現象ではある。
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by misterwhite | 2008-10-12 16:09 | 人間学


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