2008年 06月 13日
昨日の続きだが、そこでノワク博士は、「囚人ジレンマゲーム」面白いルールを導入した。新たな選択肢「罰」を設けたのだ。不快な行動を取った相手を罰する権利である。「罰」では、自分の所持金から1万円を払うことで、相手に4万円の罰金を課すことができる。これは自己犠牲のルールだ。罰した側も損しているが、相手はもっと損するわけである。 さて、「罰」があるとヒトの行動はどう変化するだろうか。なんと50%以上で「協力」を選択するようになる。面白い。つまり、一見すると善意に基づくように思える「心温まる行動」は、実は、罰を恐れた利己的な結果にすぎないわけだ。 この実験から、さらに驚くべき事実が、2つ明らかになった。1つ目は、「罰」があるルールでも、ないルールでも、最終的な平均獲得額には差がないという点だ。「罰」の導入によって、確かに「協力」の選択が増えているにもかかわらず、社会全体としての生産性は必ずしも上昇していないといわけだ。 もう1つは、ジレンマゲームで儲けることの上手な人ほど、実際には「罰」をそれほど行使していないという点だ。実際、高額獲得者の上位20%全員が、罰執行率の下位30%に入っているし、反対に執行率の上位20%は獲得金の下位30%に入っている。「勝者は罰せず」といったところだろうか。 つまり、「罰」はルールとして“存在している”ことが重要であって、実際に罰する必要はないわけだ。こうした“見えざる力”が私たちの安定した社会を形成しているのだということが、こんなシンプルな実験を通じてようやく解明され始めている。 以前にも書いたが、利己的遺伝子(Selfish Gene)と言う言葉がある。これは一見すると利他的な行為に見えても、実はその行為が自分の遺伝子を残す確率が一番高い戦略であることが分かる。要するに遺伝子はあくまでも利己的に働くと言うこと。働き蜂は、女王蜂が生き残ることが自分の遺伝子を残すのに一番良いからせっせと働いていると言うことだ。遺伝子から見てその肉体は、遺伝子を保ち次ぎの肉体に繫ぐ継ぐだけの単なる筐体にすぎないということでもある。囚人のジレンマに罰を付加したゲームは、ここに書いたことと一脈通じるものがある。遺伝子もそして人間も、利己的に動いている、そしてそのことが合理的な生存戦略だと言うことだ。
by misterwhite
| 2008-06-13 23:08
| 人間学
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